多紀アルプス・小金ガ岳725m、私たち夫婦は今回が三度目である。
寒かった冬もしだいに春へと向かい出したそんな折に、この冬最後の雪が降った。
「去り行く冬」と言う表現はおかしいと思うが、何かこの冬に仕残した様な気持ちに駆られ小金ガ岳にやって来た。

 多紀アルプスの稜線にある登山口・タワに車を置き杉林へ入った。
薄暗くあまり日が射さない地表に霜柱がいたる所に白い珊瑚の様に花を咲かせていた。ザクザクと霜柱を壊しながら斜度を増す杉林を進み稜線へと向った。

彼女が私たちに追い着いたのは、岩場になる少し手前であった。
丸太でこさえた急な階段場で、彼女は音も無く何時の間にか、私たちの後ろに着いていた。私の後ろを歩く家内が少しいたように彼女の存在に気付いた。若い彼女は都会風な顔立ちに、スリムな体型で中性的な魅力を備えていた。それは女性的な魅力が薄いという意味ではない。

 小金ガ岳が見えてきた、数日前に降った春先の雪に小金ガ岳や山頂直下の北壁が綺麗に化粧されていることを期待していたのだが、少し期待はずれであった。
 目の前に大きな岩がデンと腰を据えている、その岩の北側を木の枝や根っこをみながらズリ落ちるようにして迂回する。ここからが蟻の戸渡りと言われるの始まりである。その大きな岩の奥に北壁その後に小金ガ岳と続く、眺めはすごく良い。特に山頂直下の北壁は北側が深い谷へと削ぎ落とされ、頭を尖らせた何か巨大ながこちらに背中を向けて立っている様にも見える。
『どちらから来られました』少しスペースのある所で私が声をかけた。
『火打ち(の登山口)から車道を歩いて』気さくに応えてくれた。
 彼女は前回、三岳(多紀アルプス主峰)・小金ガ岳縦走を雨で中途断念したそうである。
今回はその続きとのことである。稜線近くまで車道を歩きこの岩稜を経て小金ガ岳山頂へ、山頂からは南正面の岩場を降りて麓の火打ちへ至コースを取るらしい。

 私が大タワの登山口駐車場から来たと告げると『山頂とのピストンですか』と彼女が聞いた。私たちは今回ここが写真を撮るために来た最終目的地である。山頂迄行かない事の一寸した後ろめたさが、私の返す言葉を濁らせてしまっていた。

彼女に先を譲り私たちはこの場で時間を取った。
古い安価なカメラを取り出す、今ならオートフォーカスだがこれは手動式である。ファインダーから見る北壁は過去に撮ったイメージと少し違って見える、数枚撮り、カメラから目を離し、何かを探る様に北壁を見ていたその目の中に彼女が現れた。北壁の先端を軽快な身のこなしでアタックする姿が目に入った。

 北壁の先端は北側が深い谷へと大きくえぐられていて、かなりスリリングである。北壁をアタックする姿を目に出来てチョット感激である。私たちも北壁を通過した経験があり、そのことが少し誇らしく思えてきた。
 シャッター音に手応えが得られず、ポジションを先へ進める為、大岩の付け根をズリ落ちていった。何コマか撮りながら先へ進むうちに北壁を過ぎ、結果、山頂を目指す事となった。

私たちが山頂にたどり着いた時には、当然のことだが若い彼女の姿はすでに無く、
今ごろは南正面の岩場を降りて麓を目指している頃であろう。

山頂は冬枯れた静寂の中でひっそりとしていた。
山頂の小さな広場を囲む木々の下に、ほんの少しの残雪が有った。

僅かな時間で確実に溶けてしまうであろう、ほんの僅かな白い雪が。
 2001.03.05 残雪 池田秀信

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